「遠坂のお地蔵さん」

 あんなぁ、遠坂のお地蔵さんの話をしたろか。

 遠坂はな、昔交通の要所になっとったんやで。昔は綾部へ行くのも、園部や京都へ行くのも、歩いて行ったもんや。白道路の人はもちろん、志賀郷の人々は、狭間の鍋倉とお毛を通り、向内へ出て遠坂峠を越えて、有岡村へ一里、そして綾部へ二里あり、園部へ着くのに二日から三日もかかったそうな。馬は普通だった。荷物を運ぶのも田舎の道では荷車もなく、牛や馬の背につけて運んでおったんやけど、遠坂峠も他の峠と同じで、牛や馬も通れないので、人が背負って行ったんじゃあ。ほやから、道の幅も広い道は必要もなく、人がすれ違えりゃあ、それでよかったんやで。そんで農地を大切にしたため、道路は山の麓や山の中につけたんや。

 ほんで、遠坂峠の中腹に少し広いところがあり、休み場所となっていたそうな。ある時通行人が休んでいたんやけど急病で倒れなくなったそうな。どこの誰ともわからんし、もちろん仏さんの引き取り者もないため、遠坂の人が相談し埋葬までされたそうな。その上、無縁仏としてお地蔵さんまで立て、祠の大きいのを作って祀ったそうな。

 ところがその後、通行人の休憩場所となり、雨風を避ける場所となり、野宿する者まで出たそうな。ほんで冬などは雪も降り今のように防寒着もない昔の事、凍え死にや生き倒れで亡くなる人が増えたげな。そんなたんびに村人が世話をやくはめになったそうな。「これではかなん」と、いっそ地蔵さんを下におろし、村の中で祀ってあげたら、ということになり、今の場所に昔のお堂を大きく立派にした祠を立て、地蔵さんを守っておられるんやで。それからは、亡くなる人も無くなったそうな。

 そやから遠坂の人は、今でもお堂をきれいにお掃除し、地蔵さんに前掛けをし、花を供えて亡くなった人を弔っていはるんや。ほんで自分たちが用事で多い所に行く時や旅行に行くときには、一寸前までは旅の安全を祈って、「無事に帰れますように」と、地蔵さんに手を合わせてから出発しなさったそうな。

「皆も人には親切にせなあかん。心を大切にしなあかん。そうすれば、きっといつか自分に返ってくるんやでな。」忘れんときや。

 ほな、またな。