物部地区遺跡の整備作業の募集

 物部地区の遺跡「十三墓」では、遺跡を整備する住民もなくしばらく忘れ去られて、草木が生い茂り荒れていたが、物部地区のふるさとの誇りとして後世に残したいとして、綾部市いきいき地域応援事業費補助金の交付を申請し整備を行うこととなりました。

<遺跡整備作業の概要>

 

1)進入通路の整備(業者委託)令和210

2)遺跡の周辺の雑木・竹・草刈り(終了)令和210月頃

3)墓盛土整備及び目印の石の設置 終了)令和211月頃

4)供養塔前の石積み(終了) 令和2年11月頃

 5)遺跡周辺に獣害柵の設置(外周約80m)(参加者募集)令和211月頃

 詳細日程については別途メール等でお知らせします。

<遺跡整備と保存の会>

 物部地区の遺跡の整備と保存について、参加者を募集しています(物部地区限定)

 (都合のつく日だけの参加も歓迎します)

連絡先…物部地区自治会連合会

    電話 0773-49-0001

十三墓の伝承

 十三墓は、1571年(元亀2年)物部城城主の上原右衛門少輔が、氷上郡黒井の城主赤井直政に攻められ落成した。上原氏の家臣13名は、物部城の見えるこの山中で切腹自刀し、地元民がこの勇士の冥福を祈り「十三墓」を建てたと伝えられている。

十三墓遺跡の発見

 昭和58年3月頃、この地で牧場を経営している村上氏が牧場を拡張するため山林を切り開いたところ、盛り土をした墓らしきものを多数を見つけ、綾部市教育委員会に報告。調査の結果、この地方で伝承されている「十三墓」であることを確認した。氏は、5月には遺跡の保存と忠臣の供養を兼ねて、供養塔が完成し、綾部市長、教育長ら約30名が出席し供養祭が営まれた。

上原氏と物部城

築城年代は定かではない。建久4年(1193年)源頼朝から物部郷の地頭職を賜り信濃国より上原右衛門丞景正(上原成政とも)がきて、はじめ高屋山に城を築いたが、後にこの物部城を築いたという。上原氏は物部氏とも称し、戦国時代には丹波守護代になるほど勢力を持ったが、元亀2年(1571年)上原右衛門少輔のとき、黒井城主赤井直正に攻められて落城した。